なにかをつくるというのは、自由なことのようにみえていたけど
とても難しく繊細で、なかなかうまくいかないのが当たり前。
僕は天才じゃない。
そもそも僕はモノづくりに向いていないと思う。
いや、「思う。」なんて、自分1人の主観で片づけられるレベルではなかった。
図工、美術、自由研究、習字。
一度だって褒められたことがない。
そこに独創性や期待を反映させるという願望は、叶わなかったらしい。
そんな奴が、もがきながら助けを求めたのは
芽生えたものを吐き出す「かたち」。
自分だった。
みじめな話極まりない。
だけどね。
過去の自分に比べれば、比べればなんだ。
僕がまだ学校に行っていた頃の話。
授業で『造形』というものがあった。
簡単に言えば、クリエイティブさを養おうというやつで。
あまりハッキリではないけれど
紙で作った円柱やら円錐やらの図形を使って、何かを作っていた記憶はかすかにある。
『造形』の授業は何週かにわたって続き、
そのたび、僕はからっぽになってしまった。
20~30人ほどいる教室の中で、僕だけ何も作れなかったから。
なにも。
だから何を作っていたのかも曖昧で覚えていないんだろうなと思う。
先生は僕に何度か話しかけてくれ、ヒントをくれたけど、やっぱり無理だった。
答えがでないとかではなく、考えることすら。
それは、お先真っ暗なんて生ぬるいものじゃなかった。
ぎちぎちの黒。先すらない。
優しく話しかけたりしてほしくなかった。
みんなの、子供をみるような視線には吐き気がした。
僕の席なんか窓から放り投げて、帰らせてほしかった。
大きな声で泣いてしまいたかった。
僕は独りだった。
一人でいるより独りだった。
「今日も無理やったか?」
「はい。」
僕は学校をやめた。
そして笑えなくなった。
彼女にはこれ以上迷惑をかけられなくて、お別れした。
すると、もっと笑えなくなった。
あの時の強引でわがままな別れ方を許してほしい。
あなたが笑えなくなるのだけは耐えられなかったのです。
ごめんなさい。
あれから月日は経ち、自分もまわりも、いろいろと変わった。
僕は今こんなことをしている。作っている。燃えている。
終わらせたきっかけが、始まりを運んでくるなんて思わなかった。
助けを求めてよかった。
怖くて怖くて足が竦む時もあるけれど、
僕が乗った列車はもう発車しているらしい。
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