人の痛みを推し量ろうとする時、己の感覚や経験をあてがってしまう。
この残酷さがわかるだろうか
他人の痛みに立ち入ることは禁じられているにもかかわらず
人に自分の痛みを認知させるような僕の言動の数々にがっかりする
痛みをどうにかしてあげたいから落ち込むのだ。
どうにかしてあげたい
してあげたい
あげたい
何様?
幼い頃よく「優しい子やなあ」と言われた。
他人の話を聞き、勝手に自分が傷ついているのだ
誰かに「お前のそれは優しさちゃうで」と言われていたなら
僕はたちまち無味無臭の子供になったと思う
それほどまでに脆いものを大事に抱えていることも残酷なのだ
それでも、僕が痛みを意識したとき
好きな人が側にいてくれるだけで眠れることが又又残酷なのである
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