欄干から池に向かって、とある本を投げた。
その本は本と呼べるほどの装丁ではなく、紙切れの集合体といった方がしっくりくる完成度であった。
タイトルも出版社も未定、原稿用紙はただの黄みがかったコピー用紙。
この世にひとつしかないその一冊を私は池へ放り投げた。
その時何かを叫んだかどうかは覚えていない。
着水間際、少しスライダーがかかり、ゆっくり水分を浸透させていった様ははっきと覚えている。
これで、私が私のために書いた私小説はやはり私だけのものになってしまった。
数分後、「あの時ソフトボール部に入ればよかった」と独り言をこぼし、公園を後にした。
その夜、私は夢を見た。
西陽が照らす自分の部屋に居た。
小学校の卒業アルバムの中で笑う1年前の成美ちゃんの顔をカッターナイフで切り刻んでいる。
成美ちゃんはイツキ君のことを話すとき、
「うちら幼馴染やから〜」と誰にも介入できない特別な関係だということを主張してくるのが鬱陶しかった。
切っても切っても彼女が笑っている気がして、ひとつ隣にうつる、イツキ君の顔も必死にえぐった。
その間中、どこからともなく
「こんなにも美しい赤は初めてやわぁ。」という母親の声が微かにそしてはっきりと聞こえ続けていた。
それはいつかの記憶のようでもあったし、これからおこる序章のようでもあった。
どちらにせよ、その言い方が普段の母親とは違い、艶かしく、私はこれから独りで生きていかなければいけないのだと思った。
私にはなにもない。
おじいちゃんが買ってくれた学習机に突っ伏すと、
小学一年生の時と同じ匂いがして、やっとめいいっぱい息を吸えた。
机の上には今日池に投げたはずのコピー用紙が重ねて置かれている。
今すぐにでも続きを書かねばと、鉛筆を握った所で目が覚めた。
両親は私が小説を書いていたことを知らない。
スポットライトの当たらない実情は私のなかで燃え続ける。
私の中で生まれた憎悪は池に沈めても、燃え続ける。
誰も救われない言葉で溢れた紙切れはもうないが、
私が私のために書いた私小説は私にとってロングセラーになり続ける。