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一般紙の新聞のコラム

新聞の1面に必ず書いてある。
 
 
各紙のコラムを読むのが好きです。
 
天声人語、編集手帳、余録…etc
 
 
その時の時事問題や、季節に合った内容で
洒落っ気もあり、個人的な考えもあり
でもどこか考えさせられてしまう。
 
 
 
そんな素敵な文章に心打たれたり、くすぐられたりする。
 
どんな人が書いているんだろうと気になってしまうけど
顔や年齢や体形がわからない今のままのほうが
余計な情報に邪魔されず、読むことができる気がするからー
その辺は詳しく調べたことはないですw
 
 
 
いつのどの新聞紙で
読んだかあんまり覚えてないけどー
とても印象に残っている内容をいくつか
 
 
 
【夫婦別姓が話題になったときのコラム】
仕事や生活や手続きなど、名字を変えることで面倒なことも多いかもしれない。
今は共働きも非常に多いし、旦那さんの名字に合わせないといけないというのは、男女平等と謳う社会で不公平と考える人もいてるだろう。
ただ私個人的な意見としては、結婚してこれから何十年と一緒に困難も乗り越え生活していく。
 
その大事で大好きな人と「名字という同じユニホームを着て頑張ろう」という考え方はどうだろうか
 
 
 
【子どもの臓器移植について】
小さい男の子が不慮の事故で亡くなった。
小さい子供の脳死の判定は難しく、なかなか日本では臓器移植に至れず海外から輸送してもらい、手術に至る。というのが多かった。
ただご両親の決断により2人の女の子へ、男の子の臓器が提供された。
男の子は2人の女の子の中で生き続ける。
その彼女たちはやがて恋をし、お母さんにもなるだろう。
苦労も幸せもある。その営みを男の子が裏方で支える。
 
「昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。今日と明日は突然並んでいるのでした。だから明日のないときもあるのです。」
飛行機事故で無くなった坂本九さんに永六輔さんが手向けた言葉です。
 
偶然並んだ毎日には、思いがけない悲しみも幸せもある。
気まぐれに置かれた飛び石を曲芸のように渡り、命は明日へとつながる。
 
わんぱく盛りの心臓と、汚れなき肝臓をもらい少女たちは未来にあるきだした。
会ったことも会うこともない恩人と二人三脚の日々が待つ。
 
 
 
【大雨により多くの町が浸水し、被災者の方が大変だった時】
今まで長い人生の中で、一度も川が氾濫し自宅が浸水したこともないから絶対大丈夫だろう。
心のどこかで思っていた。
再三避難を訴えるために鳴り続けた町の放送や携帯電話は多くの人の耳には届かなかった。
避難を決めたときにはもう水は家の中まで入ってきており、命の危険を感じた。
 
「流れてくる水が意思を持って追いかけてきているように感じた。逃げ切れないと思うと怖くなった。」
そう命からがら避難した方は話す。
 
調べてみると早く避難所へ避難した方のほとんどが
近所の方や消防団の方などに「避難すべき!」と声をかけられたからだそうだ。
 
どんどん便利になっていき、携帯電話が避難を伝えてくれているが
まだ人と人の繋がりは馬鹿にできない。
 
 
 
 
多くのことを新聞紙のコラムから教えてもらっている
これからも読み続けると思う。
 
僕の知らないどこかの誰かが書いてくれる文章で
僕はいつも心動かされています。
 
 
僕もそういう人になりたい
 
 
 

新聞紙

 
 
 
 

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